霊視・スピリチュアルの世界
感情の源にあるのは観念

感情をコントロールすることは大切なことです。
 
ネットで感情をコントロールする方法を検索してみると、
 
アンガーマネジメントや認知行動療法など、色々と出てきます。
 
それもアリです。
 
ただ、何をするにしても、
 
感情の源にあるものをきちんと知っておかないと。
 
と思います。
 
感情の源にあるのは観念です。
 
観念とは、
 
普通はこうだ。
 
こうするべきだ。
 
こうあるべきだ。
 
という考えのことです。
 
観念は、小さい頃に親や大人に刷り込まれたものや、
 
あなたが大人になるまでに採用したものもあります。
 
私自身、今は割と穏やかな人なのですが(自分で言っちゃう(笑))
 
昔はそうではありませんでした。
 
例えば、
 
私の母方が霊能系の家系だったため、小さい頃から母に、
 
神様仏様を大切にするように。
 
神様仏様を大切にしないと罰が当たる。
 
と言われて大人になりました。
 
「神様仏様は大切にするべき」という観念の刷り込みと採用です。
 
私にとって、それは「するべき」ことでしたので、
 
お守りやお札を大切にしていましたし、般若心経も覚えました。
 
ヤングな20代の頃は、お墓掃除をしたり、神社にお参りもしていました。
 
これね、神様仏様云々を信じている人にとっては、割と当たり前の話。
 
だけど、おかしな話でね。
 
神様仏様を大切に出来ていないと、罰が当たったらどうしようという怖れが生まれ。
 
神様仏様を大切にしない人には、何で大切にしないの?と怒りが生まれ。
 
観念からネガティブな感情が生まれていたのです。
 
ならば、神様云々という観念がなくなれば、
 
怖れも怒りも出てこないということなのです。
 
神様仏様とか、極端な話で分かりにくい。という声が聞こえてきそうですので(笑)
 
もっと簡単に、「観念あるある」を書きますね。
 
「挨拶をするべき」という観念。
 
挨拶をしてもらえば、観念通りになっていますので、問題なし。
 
挨拶をしてもらえないと、観念から外れたことが起きていますので、腹が立ったり悲しくなったりします。
 
「挨拶をするべき」という観念を手放せば、挨拶がなくても何も思いません。
 
「お礼を言うべき」という観念。
 
お礼を言われれば、観念通りになっていますので、問題なし。
 
お礼を言われないと、観念から外れたことが起きていますので、腹が立ったり空しくなったりします。
 
「お礼を言うべき」という観念を手放せば、お礼がなくても何も思いません。
 
「ラインの返事はするべき」という観念。
 
ラインの返事が返ってくれば、観念通りになっていますので、問題なし。
 
ラインの返事がないと、観念から外れたことが起きていますので、腹が立ったり不安になったりします。
 
「ラインの返事はするべき」という観念を手放せば、ラインの返事がなくても何も思いません。
 
この他にも、日常生活の挨拶や会話、言動の中にも観念は隠れていて、
 
そこから感情が生まれています。
 
感情のコントロールも大切ですが、
 
感情の源にある観念に気づき手放すことが大切で、
 
手放すことが出来なくても、気づいていることが大切です。
 
気づいていれば、感情が湧き出したときに、
 
この観念があるからこの感情が出てくるんだな。と客観視することが出来ます。
 
ちなみに、観念を手放すとは、完全になくしてしまうことではなく、
 
あなたにとって心地良い観念を採用することです。
 
私自身は、「どっちでも良い」「決まりはない」といった、
 
割とアバウトなものを採用しています。