発達障害とカサンドラ症候群

お兄ちゃんはグレーゾーン

※これは2016年頃に書いたものです。
 
私は子供の頃から、兄は他の人と違うのでは?と思っていました。
 
兄は何の診断も受けていませんし、もし今病院に行ったとしても、「○○の傾向にある」とだけ言われるかも知れない、
 
発達障害(アスペルガー・ADHD・学習障害・自閉症スペクトラムなど)の「グレーゾーン」にいる人だと感じています。
 
※今は発達障害の特性がみられるものの、診断基準に満たなかった人をグレーゾーンというそうです。

何故そう感じるのかをお話しますね。
 
まずは子供の頃に覚えた違和感です。
 
何が?と言われてもハッキリしないのですが、落ち着きがない、算数や漢字が苦手、不器用、感情のコントロールが苦手、コミュニケーションが下手という感じでしょうか。
 
私が幼い頃に母に連れられて、催眠療法のようなところに行っていたことも覚えていますので、母も何かがおかしいと思っていたようですが、
 
私の違和感は中学・高校時代も続いていて、大人になった今は確信に変わっています。
 
 
ある日の会話。
 
私「彼女いるの?」
 
兄「2年付き合っている彼女がいる」

私「一回会ってみたい」
 
兄「彼女は飲み屋で働いていて、俺も飲み屋に行ったときしか会えないから無理」
 
(それは彼女とは言わないでしょ、お兄ちゃん・・・)


数年後のある日の出来事。
 
母「お兄ちゃんが女の人と泊まりに行ったみたい」
 
私「ふーん」
 
(また騙されるんじゃないの?)
 
後日、その女の人が兄の給料日にお金の取り立て。
 
(何故・・・?)


更に数年後。
 
叔父「早く結婚させないといけないから誰か紹介してやって」
 
兄「俺は紹介してもらわなくても良い。出会い系で知り合った人がいるから」
 
(学習能力ゼロですか)
 
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父の葬儀で喪主をした兄。
 
葬儀屋に言われたことを私に伝え、喪主の席に座り、葬儀屋に言われた「喪主がすることだけ」をしている兄。
 
母は当てにならず、葬儀の雑用は私と娘がしていました。
 
私「負担が大きくて疲れた。早く結婚してよ~」
 
兄「うるせーな、お前は」
 
皆の前で、弁当箱をぶちまけて去っていきました。
 
(冗談が通じない)
 
しばらく後、
 
兄「俺だって頑張ってるのに」
 
私「あっそ」
 
(精一杯やってるつもりなんだよね)


告別式の喪主挨拶の前日に葬儀屋に挨拶の資料をもらった兄。
 
葬儀屋「これを読んでアレンジしてもらったら良いですよ」
 
兄「分かりました」
 
(分かってないだろうなぁ)


その日の夜。
 
私「たぶん、あの人、何も考えてないと思う」
 
と叔母たちを巻き込んで、兄のいないところで喪主挨拶を考えました。
 
当日、兄は私の予想通り何も考えていなくて、しかも母が超ロングな挨拶文を作ってきていたので、
 
叔母「私たちが考えたのとお母さんが考えたのを読んで自分の言いやすいように書き換えたら良いよ」
 
兄「分かりました」
 
(叔母さん、それはすごくハードル高いと思うけどなぁ)
 
数十分後、固まっている兄。
 
(やっぱりか!)
 
兄の持っている紙を奪い、私が文章をまとめ、すべの漢字に振り仮名を打ち、ギリギリセーフで挨拶文が完成。


それから数か月後に膀胱ガンになった兄。
 
母「お兄ちゃんは自分がガンだと分かってないみたい」
 
私「診断書には悪性腫瘍って書いてあったからね」
 
(悪性腫瘍=ガンだとは思ってないわよね・・・)


ガンだと知った兄。
 
母「本当に気づかなかったの?」
 
兄「もう良い、俺は死ねば良いんだ!」
 
(何故、そういう発想になるかな)


手術後、先生に「手術で取ったものは悪いものじゃなかった」と言われた兄。
 
その後、お見舞いに行った叔母たち。
 
兄「俺、ガンじゃなかった」
 
叔母「え?どういうこと?」
 
(いやいや、ガンでしょう)
 
叔母「ガンじゃないのに抗がん剤治療するの?」
 
私「お兄ちゃんの頭の中では、悪いものじゃないってことはガンじゃないってなってるんだよ」
 
叔母「何でやねん」
 
(お兄ちゃんの頭の中はそうなんだってば)


叔父の葬儀でも喪主をした兄。
 
父と祖母のときも喪主をしたんだから、もう慣れているでしょ。と思っている親戚たち。
 
(甘い・・・)
 
喪主挨拶で、紙に書いてある漢字が読めなかった兄に驚く親戚一同。
 
(だからお兄ちゃんは他の人と違うって前から言ってるでしょ)


叔父の法事で。
 
兄「喪主は早く行かないと!」
 
(何故、2日も前に行くの?準備をする叔母さんたちの負担が分からないのね)
 
従妹「何でこんなに早く来たの?」
 
私「人がどれだけ迷惑するかを考えられないからだよ」
 
 
母が倒れたとき。
 
「お母さんが危ない」
 
と親戚中に電話をかけた兄。
 
その後、慌てて親戚が病院に駆け付けたら、兄は家に帰って病院にいなかったという話を聞いて笑ってしまったのですが、
 
(慣れですね、これは)
 
私も兄に呼ばれて病院に行ったのに、私がちょっと病室を離れている間にまたもや兄は家に帰っていました。
 
(取り残された私はどうしたら良いのやら)
 
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何故これまで、兄の姿を見ていて誰も何も思わなかったのか。
 
それは、兄は皆の前では素直でとっても良い人だから。
 
自己主張をする私よりも、兄のほうが良い人に映るんですね。
 
だから、まわりは気づかないし、何となく「ん?」と思ったとしても、長く一緒にいるわけではありませんから、スルー出来ます。
 
元気だった頃の母は何となく気づいていたようですが、現実逃避していました。
 
適職を選ばず仕事中に何度も車をぶつけて同僚に笑われイジメられて、会社から逃亡した兄を全力でかばい、会社に文句を言った母です。
 
どれだけ女の人にお金をむしり取られても、パチンコで給料を使い果たしても、お金がないからと集られても、グチグチ言うだけです。
 
一番の衝撃は
 
「お兄ちゃんは道をよく知っている。お兄ちゃんは馬鹿じゃなかった」
 
という母の言葉です。
 
これまでの母の対応が兄の生き辛さと母自身の苦しみに繋がっていたことに気づいていません。


ここに書いたものは、ほんの一部のことです。
 
さすがに、ガンの告知から叔父の法事のときの兄の姿を見ていて、叔母や従妹たちも気づいたようですが、
 
私「うちのお兄ちゃんは発達障害だよ」
 
従妹「発達障害って何?」
 
という会話から分かる通り、まだまだ発達障害を知らない人が多いのが現実です。
 
昔は、自閉症かそれ以外かで分かれていましたので、今の20代以上の人の中には「ちょっと変わっている人」「個性的な人」「空気の読めない人」と思っているだけで、兄のような人はたくさんいます。
 
※グレーゾーンの人も入れると、発達障害は10人に1人とも言われています。


そして、あっさりと兄のことを書いている私ですが、
 
もしも、兄に何も違和感を覚えなければ、兄ともっと距離が近ければ、兄のことを話しても誰にも理解されなければ、カサンドラ症候群になっていたかも知れません。